皆川先生より麦のほうがクズだよ 〜クズの本懐

※この文章は横槍メンゴ『クズの本』(スクエアエニックス)を読破し、3周くらいしたことを前提に書いています※

この作品において一番の悪人として描かれる皆川茜。大して好きじゃない男を喰う。冴えない、パッとしない、童貞クサい、鐘井鳴海も喰った。しかし彼女は誰これ構わずヤるわけではない。芋っぽい童貞クンのはじめてを奪うのが好きな童貞キラーではない。「評価」の高い人物に求められることが、なにより気持ちいいのだ。

かつては同い年の若いやつとも付き合った。大学生時代とは教授とヤった。今もセフレがいる。行動のパターンは、鐘井鳴海と飲みに行ったときによく表れている。ほんと健全に飲むだけ、ホテルも行かない、退屈退屈退屈退屈。えー?このまま帰るのー?つまんねー。飲みすぎてよろけて倒れた瞬間、鐘井鳴海が身体を支えてくれる。

「花ちゃん、大丈夫?」

こいつ安良岡花火のこと気にしてんじゃん。とっさに名前出ちゃうほど好きなんじゃん。つまりさ?こいつとセックスすれば、その安良岡花火って高校生より鐘井鳴海の中での私の立場は上になる。だって花ちゃんは、鐘井鳴海とセックスしたくてしょうがないのに、できてないんだから。そんでホテル。

中学時代、芋っぽい友人が好きだと言っていた男に告白して付き合った。友人は泣いていた。「お似合いだよ」って。でも皆川茜はその男が欲しかったわけじゃない。芋っぽい友人が好いている男と付き合っている自分が欲しかった。それは、芋っぽい友人より私のほうが価値のある存在であることの証拠だから。

皆川茜は、自分が都合のいい穴として使われていることは分かっている。むしろそれでいい。それだけ自分に魅力があるということの証左なのだから。攻略難易度の高い男を落とせること(それは自分に魅力的でなくてもいい)が、自分の価値を表す唯一の手段だから。高スペ男とヤれることが自分の価値。

鐘井鳴海は安良岡花火から好意を寄せられている。まあ、鐘井鳴海はその気持ちに応えることはないだろう。だって、高校の先生とその生徒だから。鐘井鳴海にとって安良岡花火はあくまでかわいい妹(あるいは子)なので、性欲の対象にはならない。注がれるのは親から子への無条件の愛であって、その関係性は対等じゃない。関係性が対等になる「性」はこれから先もずっと注がれない。だから、安良岡花火はずっと片思いだ。その恋は一生報われない。

安良岡花火は純情。「好きじゃない人から向けられる好意ほど、気持ちの悪いものってないでしょう?」。皆川茜と真逆、というよりは親から子へ注がれる愛と、男女間の「好き」を勘違いしているんだろう。世の中の「好き」は無条件の愛しかないと思っている。親子みたいな好きを他人から押し付けられたと思ってるから、それを気持ち悪いと断言した。

安良岡花火はだんだんと粟屋麦のことを意識していく。粟屋麦から注がれているのは性欲なんだけど、それをお兄ちゃんが注いでくれる愛だと勘違いしている。粟屋麦は最初から安良岡花火なんて意識してない。飽きたら何ヶ月も会話しないし。粟屋麦はいくらでも遊べる。童貞のころ先輩にからかわれながら思春期のおもちゃにされてたときから、愛だとか恋だとか、大体の感覚を、身をもって知っている。それが無条件の愛じゃないくらいは。相手の都合よく使われるだけだと。

この作品の一番の悪人は粟屋麦だと思う。わりとイケメン。中学1の美女とセックスしてたんだから女にはそんなに苦労しない。貞操だってかたくないし、昔付き合ってた先輩呼び出して道玄坂のホテル行っちゃう。安良岡花火の気持ちも知ってて、でも喰えそうだから喰おうとしちゃう。本当の処女には痛がって挿入できなかったけどね。

粟屋麦は、自分なら皆川茜の心の隙間を埋められると思っている。高校生かわいい。絶対無理。

安良岡花火は皆川茜のセフレと会ったりするけど、相手がヤリモクなのが――何より自分を一番にしてくれないことが――嫌で嫌で処女喪失ならず。純情。

最終巻は駆け足で皆川茜と鐘井鳴海が結婚して終わる。皆川茜に対して鐘井鳴海が無条件の愛を見せた。何をしても見捨てない、心のどこかで求めていた母みたいな存在が現れた。

でも皆川茜は結婚しても変わんないと思うーーー!クソ女のままだよ一生!!