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その「道徳」、どこの地方の決まりなの?

どこかの国の法学者が定義した「近代国家の社会規範」。

違反した者に国家権力による制裁が予定されている社会規範を広く「法」と呼ぶ。人を殺したらムショに入れるぞ、とかそういうの。下手したら国家に生命を奪われる。

一方で、部分社会ルールのことは「習俗」と呼び区別される。私立の学校が校則を決めてたり、サッカーの試合で手使ったら行けないよといった決まり。このへんは法に近い形を取ってるけど、ムショに入れられることも罰金を取られることもない(はずだ)。これに国家が直接口出しすることはあんましない。サッカーのルールのここが不公平だ、なんて裁判所は言わない。私がそこらへんの公園でボール蹴ってハンドしても、日本サッカー協会は動かないだろうしペナルティも課さないだろう。

あとは電車で体の不自由な人に席を譲りましょうとか。お歳暮の送り付け合いとか。別に守らなくても周りから白い目で見られるくらいで、国家がペナルティを課すことはない。お彼岸に親族で集まるとか、どことなく日本は習俗と「宗教」が近い感じがある。

近代国家ができるまで「法」は「習俗」の一部だった。「法」の中身については日本では武士しか知らず、農民に知らされることがなかったからだ。なんかわかんないけど、これやるとさらし首にされるとか。そういったレベルでしか知らなかった。

「道徳」ってのはオレオレルールで、自分の中でのみ通用し他人に強制できないルールである。法は「人を殺してはいけない」なんて言ってない。「人を殺したらムショぶち込むで」とは書いてある。人間生きていれば一人や二人殺したくなるもので、具体的にどう殺そうかとかできるだけ苦痛を与える殺し方はどうだとか考えたりするけれど、実際に行動に移さないのは個人の「道徳」だからだ。なんとなく、自分が自分で決めたやっちゃいけないことルール。

どこかの国の法学者曰く、「法」「習俗」「道徳」「宗教」の4つが近代国家の社会規範らしい。


2018年度から小学校で道徳が科目化される。1997年生まれの私も小学校に「道徳」の時間はあったが、点数はつかなかったし、教科書は文部科学省製だった。どこかが作ったお手製の副読本もあったが、使われることはなかった。コマとして設定されてはいたけど、「これがこうだ」といった授業ではなく、せいぜいディスカッションの練習くらいだったと思う。

父母祖父母を敬愛する態度、現在の社会を築いた高齢者に尊敬と感謝の気持ちを持って接する心ってのは国が決める「道徳」なのだろうか。それはどこかの独自の「習俗」じゃない? 場面によって変わるものを絶対的なものとして教える必要はあるのか。

政府は「現在の社会を築いた高齢者」に手厳しいしな。年金少ねえ福祉サービスもろくにねえ孤独死孤独死

さて父母祖父母を敬愛し、高齢者に尊敬と感謝の気持ちを持ち、郷土や国を愛すれば子どもの虐待も貧困もいじめもなくなるのか。

人としてどうあるべきかを、国家が規律するのか。

オレオレルールは自身の多様な経験を重んじ、自身で構築すべきだ。自分が所属するところのルールは一応聞いておけばいい。離れたらはいさよならーだし。悪か善か、なんて国家が個人に強制するものじゃない。

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