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閉鎖病棟でメンヘラ中学生と仲良くなって退院してから一緒に自殺未遂した話

この記事は2014年12月20日に、当時17歳だった筆者が執筆した文章を、一部名前を改変して掲載するものである。

第2新東京市の郊外に位置するとある私立精神科病院(正確には単科ではないのだけど、精神科がメインの病院である)。そこには県内に数カ所しかない児童思春期精神科の閉鎖病棟がある。20歳未満の男女しか入院できない病棟。県内から若くて重篤なメンヘラが集まってくる。僕はここに、自殺未遂で今年3月に入院した。当時16歳。ニート。男。僕が入院してから数週間後に入院してきた人がいた。いつもジャージを着ている当時14歳中学2年生。

省くが、閉鎖病棟でこの14歳と仲良くなった。Aとは病棟でずっと一緒にいて(看護師に怒られた。別の病棟するぞと脅された)、ずっと他愛のない話をしていた(診察の際医師に「二人の距離が近すぎる」とカルテに書かれた)。県から派遣された教諭が勉強を教える、学習会なる小中学生が参加する時間はAと別々になってしまってつらかった。Aが外泊に行くと寂しかった。寂しい寂しいと言ったら、Aが外泊時、Twitterで連絡を取ってくれるようになった(僕は閉鎖病棟に持ち込みが禁止されているスマートフォンをこっそり持ちこんでいた)。

7月上旬、ただ単調な日々が繰り返される閉鎖病棟での生活が耐えられなくなり、僕は病院から脱走した。任意入院だから任意の申し出で退院できるはずなのだが、医師も看護師も退院の手続きを取ってくれなかったので脱走した。病院から駅まで走って、電車に乗って家まで帰った。病院には戻りたくないと親を通して病院に伝えたところ、退院の手続きが取られた。Aもそれから4週間後に退院した。

8月上旬。退院して初めてAと会った。駅の待合室にAを見つけたとき、僕はとても嬉しかった。しかし8月下旬に、Aから「依存も尽きたでしょ?」「決心できたら冬に死んでもいい?」とDMが来て、僕のTwitterアカウントはAにブロックされ(最後に僕は「それは君が決めることだ」とメッセージを送った)、唯一の連絡手段が途絶えた。それでもAも僕もお互いのツイートはチェックしていたようなのだが、Aは10月にツイートを非公開にしてしまう。僕は11月上旬にAのアカウントIDでググってAがツイキャスをやっていることを知る。11月下旬に、Aがキャスで自殺をほのめかしたから、「死ぬなら一緒に死のう」とメッセージを送った。Twitterのブロックは解除されていた。次の日に会って、一緒に自殺する場所を探した。凍死狙いなので山を見た。12月上旬にも会った。親が夜勤で家にいない日を狙って死ぬという。一緒に場所を探した。そのあと、Aは僕と別れたあとに、一人で山に入ってビールと持っていた全ての睡眠導入剤を飲んだらしいのだが、死ねずに帰ってきた。

12月13日。Aの親が夜勤で不在の日。Aは薬を持っていない。僕が薬を提供しなければAは死ねない。この事実は僕に重くのしかかった。僕はその日徹夜をして、ハルシオンロヒプノールロラメットをそれぞれ30錠、それに酒を持って早朝に家を出た。携帯電話は機内モードにして、通信しないようにしていた。Aと駅で待ち合わせ、最期だからと電車に乗って繁華街に行った。飲食店の前を通るたび、Aは「数日前に来たかった」と言った。少しでも死にやすいように、当日は絶食することを決めていた。万が一捜索されていたらと思い、繁華街で携帯の機内モードを数分だけ解除した。捜査を撹乱させるためだ。午後4時。電車で戻って、二人で立入禁止の山に入った。ワンセグのデータ放送のニュースで僕達が行方不明になっていることが報じられていないと確認した。風は強く、雪が降っていた。物音がするたびに警察ではないかと怯えた。午後6時にもなるとあたりは暗くなった。身を寄せ合って寒さをしのいだ。防災無線は明日は衆議院選挙の投票日です。棄権せず投票に行きましょう。と伝えるだけで、行方不明者の情報は流さなかった。――立ちっぱなしで2時間は経っただろうか。体が震える。足の感覚がなくなってくる。僕は死にたいんじゃなくて現状から脱却したいんだ、と思ってみたりした。Aは酒を飲みたくないようで、か細い声で「お酒、飲まなきゃいけないのかなあ」とつぶやいた。

「君にこれ以上の苦痛を味わわせたくないのだけど、僕が君のつらさを少しでも軽減できるのならば、生きるのを少し延長してもいいんじゃないかな」

我ながら痛いセリフを吐いたものだ、と思う。だけど、この言葉で自殺は未遂に終わった。

スマートフォンの電源を入れて、山を出て、電車でAの家に向かった。Aの家には夜勤のはずのAの親がいた。僕には捜索願が出されていて、じきに2人の警察官がやってきた。警察が病院に照会していたらしく、僕とAが一緒にいる可能性が高いと踏んでいたらしい。僕がヘコヘコ頭を下げたら捜索は解除になって、警察官は帰っていった。僕は駆けつけた親に、家へと連れ戻された。

Aはその日、深く腕を切った。それはもうパックリと。生きるとは……生きるとは……。

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