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心中

人間10回20回くらい自殺未遂で生死を彷徨うことは当然あるが、太宰治はそれとは別に、毎回別の恋人と心中を図り、相手の女だけ死んで自分だけ生き残るクソみたいな人生を歩んだ。

  • 大学在学中に18歳のバーのウエイトレスとODで死のうとする。太宰治だけ生き残る
  • 交際相手とODしようとしてやっぱ相手だけ死ぬ
  • ようやく入水自殺、ともに死ぬ

お前のせいで二人しんどるやんけ。

文学者と人格は関係ないんだなあって話。

おわり。

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私は他人になることはできないから、 他人の気持ちになることはできない。

私は他人になることはできないから、
他人の気持ちになることはできない。

今すれ違ったブレザーを来た高校生の人の気持ちにはなれない。
電車に半ズボンの制服で乗る小学生の気持ちにはなれない。
バスの中で空中に向かって奇声を発する人の気持ちにはなれない。
明らかな低体重で浮いた骨に似合わないブレザーを着る人の気持ちにはなれない。
怒鳴る親の気持ちにも、走り回る病院職員の気持ちにはなれない。
経済的理由で勉学の道が限定された若者の気持ちにはなれない。
今月を残り数千円で過ごす人間の気持ちにはなれない。
この程度の小学校社会科レベルの問題が解けない人間の気持ちになれない。
朝毎回遅刻して、ミスばかり起こす人間の気持ちにはなれない。
いい歳して未婚のまま生活するような人間の神経にはなれない。
大学にもいかないような低学歴の人間の感情なんてわからない。
高い授業料をどぶに捨てるような低偏差値な大学に進学する人間の気持ちはわからない。
特にやりたくない分野を学んで、なにも得ぬまま時間だけを捨てる人の気持ちはわからない。
せっかく大手企業に就職したのに、妊娠してわざわざ出産育児のブランクをあける人の気持ちはわからない。

私は私だから、誰の気持ちもわからない。
さぞかし大変だろうとは思う。
私は、誰にわかってもらえるのか。それが自分でも「私」でもないことは確かだ。

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新宿

 新宿駅交差点・アルタ前。路上に停車した街宣車の上で男がマイクを握る。
「私は右派ですが、女の子を誘うときには××のホテルを予約して、レストランに行き、女の子が頼んだものは私のカードで落とすようにもちろん設定している。なぜこんな話をするのかと言うと、今、辺野古反対を叫んでいる人たち、ここ(新宿)にもホームレスみたいな人がいますけど、そんなホームレスに毛の生えたような奴らが、辺野古反対を叫んでいる。ホームレスに毛の生えたような人間を彼氏にしたいと言う女の子がいると思いますか。私は全体の8%くらいだと思う。残りのほとんどは、そうは思わないんじゃないか」
 楽単な必修科目の教授の話を聞くときくらいの感度で話を聞いていたので、だいたいこんな話を男はしていたと思う。アルタ前のスクランブル交差点の歩行者信号が赤を現示していたため立ち止まった街を行き交う人たちは、エレベーターに乗り合わせたときに階数表示を眺めるような視線で、みな一様に歩行者用信号機を眺め、青に変わるのを待っていた。
 1861年、イギリスの社会学者 Maine, Sir Henry James Sumner は著書『Ancient Law』の中で「身分から契約へ」とのフレーズを残した。これは生まれた時点で決まる貴族が上、庶民が下と絶対的に分かれていた垂直型社会から、「私30円持ってる。パン欲しい」「私30円欲しい。パン売る」への平行的社会――近代社会――の違いを示した言葉である。
 それはともかく、信号が青になったので、私はあまりきれいな見た目をしていないおじさんと交差点を渡る。街宣車の横を通り過ぎてホテル街へ向かう。なぜならそれは身分ではなく、契約によるものだからだ。

 街宣車の後ろを警官付きでレインボーフラッグを掲げた集団が通っていくのがシュールな新宿駅東口だった。

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Univ. of

あと一歩だった。講義棟6階の窓を開け外へ。人ひとりくらいの幅開いた窓に手をやって、へこんだ窓枠の外で震えながら立つ。

この高さから飛び降りれば骨折くらいはするだろう。

でも、飛べない。 怖いのだ。死ねないのが。救命されるその後が。

死ねないのが怖い。「死ぬのが怖い」「死ぬときに苦しいのが怖い」というのは聞くが、私は死ねないのが怖い。死ぬのは怖くない。苦しいのも怖くない。

未遂に終わり、自我がありながら生きるのがただつらい。

なぜこれだけ生きるのが苦しいのだろう。周りの人はどうなのだろう。

電車に轢かれたら何割かは死ぬ。30階から飛び降りれば何割かは死ぬ。パーセンテージは低くはない。けれど私は怖い。数字が、エヴィデンスが、そういったものでは理解はするけど感情的に納得できない。身をもって体感したからだ。

残りの何割かは生きてるんでしょ?

自殺未遂者に「生きていてよかった」と言うのは、国立大一本の受験者に「落ちてよかった」と言うのに等しい。これでこれからも地元にいれるね、地元で就職しよう。そう言っているのと同じ。

私さえなくなればいい。単純に。記憶障害でも脳死でも。私が私で存在し続けることは絶対に嫌だ。許せない。植物状態でも喜怒哀楽はあるらしいじゃないか。もちろん精神科の隔離室にいる人間にも当然人格はある。私たちが共通させている言葉や仕草は違えど、私たちと同じ脳を持っている。

認知症患者は本当になにも考えずに自分の糞便をいじり介護スタッフを困らせているだけなのか。言語や記憶を司る機能に問題が生じたときの、なんらかの意思表示なのではないか。そこにキャラはなくても、「私」は存在するのではないか。

もう二度と死ねなくなる状態にはなりたくない。二度と未遂に終わらせない。自殺は望みだ。第一志望は譲れない。私を消すことが望みだ。

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深夜のバス停の前で徐行し始めるタクシーはうざい

賃走。「xxxxx、つけやすいところで」。深夜のタクシーの無言。車内には運転手と終電を逃して歩くのが面倒になった私。ウインカーの点滅を知らせるカッチャンカッチャンという音とハイブリッドエンジンのわずかな音だけが、車内に聞こえていた。

地元のタクシー運転手と言えば横暴だった。カードを使おうとするものなら「現金持ち合わせありますか」(もっとも、カード払いに対応したタクシーなんてそれほどなかった。対応していても下手すれば「ガッチャン」。オフライン取引である)。万札を出そうものなら「そこのコンビニで崩してきてください」。初乗りも安くないのだが、ワンメーターそこらで乗ろうとするものなら乗車を拒否された。

最近は知らない。迎車のときに父親の名前を出すと家まで迷わずに来ること、渋滞していると高速走行扱いにして時間料金を取らない。運転手は「申し訳ない」と言う。昔より需要がなくなったのだろう。やたら低姿勢な運転手しか地域からいなくなった。

上京。終電を逃してタクシーで帰宅することが増えた。でも黒以外のタクシーは苦手だ。たばこ臭いとか事故率が高いというのもあるが、なにより車内の無言の時間の「質」が違うからだ。運転手が何を考えているのか、どのルートで行こうとするのか、わからないのである。

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薬物に溺れるな

JR新宿駅
東口改札へ抜ける途中に交番がある。その先にの壁に目を向けると、警視庁のポスターが貼ってある。
「薬物に溺れるな ――その『一度だけなら』で仕事も家族も人生までも水の泡」

シャブじゃなくてOTCの話をしよう。
鎮咳去痰薬を風邪の症状緩和のため以外に利用されていることを私は知っている。大量に摂取することで覚せい剤と似たような効果が一時的に得られる。彼ら彼女らは不良でも半グレでもない、成績優秀な中高生だった。いたって「ふつう」の。

「悩みがあれば周りの大人に相談しましょう」
よく使われるフレーズ。もし周りの大人に相談することで痛みを伴わず問題を根本から解決できるのなら、彼ら彼女らは錠剤を一度に30錠流し込んで唾液腺を潰し急性カフェイン中毒に震え身体的依存をつけながら、コストパフォーマンスの悪いわずかな覚せい剤的効果を求めはしないだろう。薬物の誘惑に負けたわけではなく、彼ら彼女らは小さい頃から、大人を信用できないことを体感してしまっている。

家庭環境だったり、学校内やバイト先でのトラブルだったり。彼ら彼女らは複雑に絡まりあった生きづらさをほどけなくしている。それはこれからも絡まっていく。行政や学校、医療が介入してひとつひとつ絡まった糸を解すことで、少し見える世界は変わってくるはずだ。3年後の自分はもうすでにこの世にはいないだろうとか、明日を生きるために錠剤を流し込み手首を切る。「なんでそんなこと思うの」「なんでそんなことするの」。複雑に絡まった糸によって、どれが原因で生きるのに他の人より苦痛を感じなければいけないのか、それが解決すればHappyなのか。そんなことはわからない。ただ彼ら彼女らは「対症療法で今の痛みを少しでも緩和したい」セルフメディケーションの一貫として自傷行為を行う。

性犯罪の被害に合い、怖くて電車に乗れなくなった人がいる。男性恐怖症で、以前のような生活を送れなくなった人がいる。そういった人たちに「電車で痴漢に合う確立は0.x%だからめったにないよ」とか、「日本にいる男性のうち、性犯罪で逮捕された人間はわずか0.0x%だからそんなに怯えなくていいよ」と言ったところで、彼女は明日から電車に乗るだろうか。乗らない。いくら数字で、確立で示されたところで、その0.x%(あるいは0.0x%)に当たったのは事実として存在する。確立の話をすれば、一度性犯罪被害にあった人が連続してまた性犯罪被害に合う率は、性犯罪被害にあったことのない人より少ないはずだ。数字上はそうでも、体が動かない。

自傷行為の根本は「誰もこの底から救い出してくれない」絶望感にある。彼ら彼女らは過去の経験から「大人」に裏切られたという思いがある。誰も信用できない、もう誰にも悩みを話したくない、アレはもう嫌だ。吐きそう。もちろん、「良い大人」がいることは頭では理解している。しかしまた「悪い大人」がいることも経験則から理解している。仮に「良い大人」にあたったところで、3日で問題が解決に向かうわけがなく、当分は今まで通り精神をすり減らして生活しなければならない。「悪い大人」にあたったときのことを思いだすと、SOSのサインすら小さくなってしまう。もう助けなんていらない。厭世感につつまれた暗い社会をなんとかあと一日生きるため、彼ら彼女らは錠剤を、カミソリを持つ。

「仕事も家族も人生までも水の泡」なんてことはない。それはセルフメディケーション =自己治療= の一つだから。でも私はあなたが少しでも苦しみから解放されてほしい。もはや手段は問わない。なんらかの行動を起こしてほしいのだ。

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閉鎖病棟でメンヘラ中学生と仲良くなって退院してから一緒に自殺未遂した話

この記事は2014年12月20日に、当時17歳だった筆者が執筆した文章を、一部名前を改変して掲載するものである。

第2新東京市の郊外に位置するとある私立精神科病院(正確には単科ではないのだけど、精神科がメインの病院である)。そこには県内に数カ所しかない児童思春期精神科の閉鎖病棟がある。20歳未満の男女しか入院できない病棟。県内から若くて重篤なメンヘラが集まってくる。僕はここに、自殺未遂で今年3月に入院した。当時16歳。ニート。男。僕が入院してから数週間後に入院してきた人がいた。いつもジャージを着ている当時14歳中学2年生。

省くが、閉鎖病棟でこの14歳と仲良くなった。Aとは病棟でずっと一緒にいて(看護師に怒られた。別の病棟するぞと脅された)、ずっと他愛のない話をしていた(診察の際医師に「二人の距離が近すぎる」とカルテに書かれた)。県から派遣された教諭が勉強を教える、学習会なる小中学生が参加する時間はAと別々になってしまってつらかった。Aが外泊に行くと寂しかった。寂しい寂しいと言ったら、Aが外泊時、Twitterで連絡を取ってくれるようになった(僕は閉鎖病棟に持ち込みが禁止されているスマートフォンをこっそり持ちこんでいた)。

7月上旬、ただ単調な日々が繰り返される閉鎖病棟での生活が耐えられなくなり、僕は病院から脱走した。任意入院だから任意の申し出で退院できるはずなのだが、医師も看護師も退院の手続きを取ってくれなかったので脱走した。病院から駅まで走って、電車に乗って家まで帰った。病院には戻りたくないと親を通して病院に伝えたところ、退院の手続きが取られた。Aもそれから4週間後に退院した。

8月上旬。退院して初めてAと会った。駅の待合室にAを見つけたとき、僕はとても嬉しかった。しかし8月下旬に、Aから「依存も尽きたでしょ?」「決心できたら冬に死んでもいい?」とDMが来て、僕のTwitterアカウントはAにブロックされ(最後に僕は「それは君が決めることだ」とメッセージを送った)、唯一の連絡手段が途絶えた。それでもAも僕もお互いのツイートはチェックしていたようなのだが、Aは10月にツイートを非公開にしてしまう。僕は11月上旬にAのアカウントIDでググってAがツイキャスをやっていることを知る。11月下旬に、Aがキャスで自殺をほのめかしたから、「死ぬなら一緒に死のう」とメッセージを送った。Twitterのブロックは解除されていた。次の日に会って、一緒に自殺する場所を探した。凍死狙いなので山を見た。12月上旬にも会った。親が夜勤で家にいない日を狙って死ぬという。一緒に場所を探した。そのあと、Aは僕と別れたあとに、一人で山に入ってビールと持っていた全ての睡眠導入剤を飲んだらしいのだが、死ねずに帰ってきた。

12月13日。Aの親が夜勤で不在の日。Aは薬を持っていない。僕が薬を提供しなければAは死ねない。この事実は僕に重くのしかかった。僕はその日徹夜をして、ハルシオンロヒプノールロラメットをそれぞれ30錠、それに酒を持って早朝に家を出た。携帯電話は機内モードにして、通信しないようにしていた。Aと駅で待ち合わせ、最期だからと電車に乗って繁華街に行った。飲食店の前を通るたび、Aは「数日前に来たかった」と言った。少しでも死にやすいように、当日は絶食することを決めていた。万が一捜索されていたらと思い、繁華街で携帯の機内モードを数分だけ解除した。捜査を撹乱させるためだ。午後4時。電車で戻って、二人で立入禁止の山に入った。ワンセグのデータ放送のニュースで僕達が行方不明になっていることが報じられていないと確認した。風は強く、雪が降っていた。物音がするたびに警察ではないかと怯えた。午後6時にもなるとあたりは暗くなった。身を寄せ合って寒さをしのいだ。防災無線は明日は衆議院選挙の投票日です。棄権せず投票に行きましょう。と伝えるだけで、行方不明者の情報は流さなかった。――立ちっぱなしで2時間は経っただろうか。体が震える。足の感覚がなくなってくる。僕は死にたいんじゃなくて現状から脱却したいんだ、と思ってみたりした。Aは酒を飲みたくないようで、か細い声で「お酒、飲まなきゃいけないのかなあ」とつぶやいた。

「君にこれ以上の苦痛を味わわせたくないのだけど、僕が君のつらさを少しでも軽減できるのならば、生きるのを少し延長してもいいんじゃないかな」

我ながら痛いセリフを吐いたものだ、と思う。だけど、この言葉で自殺は未遂に終わった。

スマートフォンの電源を入れて、山を出て、電車でAの家に向かった。Aの家には夜勤のはずのAの親がいた。僕には捜索願が出されていて、じきに2人の警察官がやってきた。警察が病院に照会していたらしく、僕とAが一緒にいる可能性が高いと踏んでいたらしい。僕がヘコヘコ頭を下げたら捜索は解除になって、警察官は帰っていった。僕は駆けつけた親に、家へと連れ戻された。

Aはその日、深く腕を切った。それはもうパックリと。生きるとは……生きるとは……。

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